2006年09月02日
やや涼しくなったとは言え、枝豆を食べながらのビールはやはり最高。
いつも冷凍枝豆を食べるのだがこれの一番いい解凍法を最近知った。
ざるに取って流水で流して2分くらい水につけておく。
そうすると解凍できて冷たくておいしい。
電子レンジで解凍するよりよほどおいしい。
そんなふうにしてして解凍した枝豆を次から次へと食べながらふと思い出した。
私には枝豆をろくに食べられない一時期があった事を。
それはある種の「トラウマ」が原因だった。
小学校のころ、テレビを見ながら母親がゆでてくれた枝豆を次から次へと食べていた時、突然口の中に、苦く青臭い、とんでもないまずさが広がった。
私はそのまずさにあわてて口の中の枝豆を無理やり飲み込んでしまった。
手に残った枝豆のさやを見てみたらとんでもない虫食いの跡があって、さやに残ってた豆にもひどい虫食いの跡があった。
どうやら私は豆と一緒に枝豆に枝豆にいた「虫」も一緒に食べてしまったらしいのである。
テレビを見ながらだったので、さやにひどい虫食いの跡があったことに気がつかなかった。
もしかしたら、あの枝豆は親戚の畑で採れたやつをもらったのかもしれなかったと思う。
だから、あんなひどい虫食いの枝豆が混じっていたのではないかと思う。
とにかく、私は枝豆にいた青虫を食べてしまった。
しっかり飲み込んでしまった。
これが気持ち悪くて、気持ち悪くて、トラウマとなって枝豆が食べられなくなってしまった。
時々、枝豆がでてきたときには、豆の一粒一粒を手の上に出して、虫がいないことを確かめて食べる。
いちいちこんな事をして食べても少しもおいしくないので、私はすっかり枝豆嫌いになってしまった。
その枝豆のトラウマはしばらくの間続いたと思うのだが、いつの間にかそんなものもなくなって、今では枝豆は大好きである。
考えてみれば、こうやって他人に「こんなトラウマが~」といえる時は、もうそのトラウマから開放されているのかもしれない。
本当のトラウマといいうのは、その事を思い出すだけでつらく、とても他人に言う気にならないような事柄のような気がする。
2006年08月19日
学生のころの事。
同級生の体験談である。
学校の夏休みの間の帰省中の事。
同級生の彼(ここではKと呼ぶことにする)は高校時代の友人と3人で田舎の近所のキャンプ場でキャンプをすることにした。
そのキャンプ場について間もなく女性3人のグループと知り合った。
グループはすぐ気安くなった。
中でもKだけが一人の女の子と仲良くなった。
お互いはじめて見た時から何か感じるものがあったらしい。
二人は非常にいい雰囲気になっていったそうである。
そしてその夜のキャンプファイヤーまがいの場での事である。
そこで、彼女たちが買ってきた小さなスイカを食べる事になった。
スイカを切る役になったのはKである。
Kはスイカに包丁を入れた。
ところが、その包丁がスイカの真ん中あたりでガチっと何か硬いものに当たった。
それ以上切ることが出来ないのである。
そこでスイカを回してぐるりと周りから全体に切り込みを入れスイカをぱっくりと二つに割った。
そこで そのスイカの中からでてきたのが「人形の首」だった。
スイカの真ん中にぴったり埋め込まれるようにして、白く塗られた日本人形の「頭(かしら)」が出てきたのである。
女の子たちからは小さな悲鳴に似た驚きの声が上がった。
どうしてこんな物がこんな所にと、その首を取り出して調べているとふいに
「それを捨てて!」 と一人の女の子が声を上げた。
あの、Kと仲良くなった女の子である。
「捨てて!その首を捨てて!」
彼女は緊迫した調子でこう繰り返した。
みんなが彼女の言葉に少しおどろき呆然としていると、彼女は自分からその人形の首をつかみ、それを横の木立の林の中に投げ込んだ。
みんなは、この突然の行動に驚いた。
あっけにとられた。
そして、その後の彼女の黙りこくった態度や表情に、何かがあるのかなとみんな感じた。
次の日になってもその女の子はだまりこくったままで、Kともほとんど口をきかず、彼女を気遣ってかほかの女の子もあまりしゃべらなかった。
そんなふうで彼女の連絡先も聞かないままでキャンプは終わった。
彼が私にした話は大体こんな話だった。
私は彼のアパートでこの話を聞いて少し驚いた
私は彼にいくつかの質問をしてみた。
特にスイカの中からでてきた人形の首について。
彼はその質問にすぐに明確に答えた。
私は同じような質問を繰り返し、同じような答えを聞き、そして結局わからないという事しか出てこない。
何度も同じ話がループされた後に、彼は不意に立ち上がって押入れの中から何かを取り出して私の前に置いた。
それは白いハンカチのようなものに包まれていた。
彼はそのハンカチを解いて見せてくれた。
人形の首だった。
白く表面に色が塗られているようなこぶし大の人形の首だった。
私は思わず息を呑んだ。
「なぜ?」
と私は彼に聞いた。
「拾ってきたんだよ、夜が明けるのを待ってね」
「どうして?」
彼は何も言わずに私のコップにウイスキーをつぎ足した。
目の前に置かれた人形は表面全体は白く、そのやや横顔に当たるところには包丁の当たったあとが斜めにはっきりとついており、そこだけが土色の地肌を見せていた。
人形の眼も白く塗られているため、それがまるで白目をむいているようにも私には見えた。
2006年08月07日
今月中ごろ夏祭があるんですけど、その役が回ってきて手伝いの人への依頼とか、それに関する書類作りの手伝いとかしなきゃいけなくて、今印刷してる最中。
なんで私がこんなことしなきゃいけないんだ。(超激怒
プリントしながらその時間待ちでこれを打ってます。
今紙詰まりをおこして、その後印字される文字が
i"磨yージり´ャッシュj"蛟・・噫・gq"・・Aローカルu5・朽・逐・・gq"・蜍〟Aプログラムe都衰.g用s虫2fk"担nauthorized useエラーり貼ヲl"・・凍・ゆ梳・Bn"枕蜍〟Ad御飼s"・・Aページり拠藻-桙・逐ъk)項・・B芽藻#vログラムり・部e"・試搖逐・ol"・凍・・・梳・・B
みたいなののもっとひどい文字化けの羅列になってしまいました。
いったん、そのキューを取り消してもう一度印字したら直ったんだけど、紙のないところにインクが出たせいか、そのあとしばらくは印字が汚いですよね。
と、ここまで書いたところで
「大発見じゃー」
このページを作るについて、昨年のものを元にして変わったところだけを書き換えて原稿を作ったんだけど、その「当元 町内会」のところが去年のままじゃ。
今刷ったページ全部刷りなおし。
orz
2006年07月27日
先日、7月24日、25日と地元の神社のお祭りで、いかにもひまそうな顔をしている私はそのお手伝いの役割を命じられたのでありました。
神社の掃除や飾りつけ、テント張りなどの準備をすませて、宵祭りには御札やおみくじを売ったのであります。
当日は雨模様という事もあり、人出もほとんどなかったためこれらのありがたい「グッズ」の売れ行きもはなはだ悪く、手持ち無沙汰の私たちは、めずらしくおみくじを引いて下さった方へは「盛大な拍手」と「おめでとう」の掛け声をかけるというサービスを行ったわけです。
おみくじには全部「○吉」とかで「吉」という文字が入っていましたので、おみくじを引いた人全員がこのサービスをうけるということになりました。
そのなかで一人だけ「半吉」というくじを引いた人がいました。
その人にも私たちは「拍手」と「おめでとう」を贈ったのですが、その人が行った後に「半吉」ってなんだろう?という話になりました。
半分が吉なら残りの半分は凶なんだろうかと。でもまあ「吉」という文字が入っているからいいんじゃないのという適当な結論に達しました。
今、思いついて検索してみたところ
「縁起の良い順番 大吉>中吉>小吉>吉>半吉>末吉>末小吉> 凶>小凶>半凶>末凶>大凶」
だそうです。
「半吉」というのは「小吉」、「吉」より下だけど「末吉」より上なんだな。
「小吉」というのは「吉」より上なんだ。
などという役に立たない事実を発見したわけであります。
ところで、「凶」を引いた人はいませんでした。
やはり神社のおみくじで「凶」が出たりすると気分が悪いので入れてないのじゃないだろうかという話になりました。
そこで私は、「凶」というのはなんとなく気分が悪いのでその代わりに「スカ」というのを入れたらどうだろうか、と提案をしてみたのですがそこにいた長老たちの賛同を誰一人として得ることが出来なかったのを残念に思う次第です。
2006年07月22日
私たちにとって一番身近な筆記具といえばボールペンだと思うが、これのインクを最後まで使い切ったという事がほとんどないような気がする。
インクが見えのるにかすれて書けなくて頭にくることはしょっちゅうある。
NASAは世界で初めて人間を宇宙空間に送り出した。
その時『ボールペンは無重力状態では書けない』と発見した。 その後、研究者達は10年の歳月と120億ドルの費用をかけてついに『無重力状態でも書けるボールペン』の開発に成功した。
一方ロシアは鉛筆を使い続けている。
というジョークがあるように、ボールペンのインクが出てくるのは重力によるものだという事を最近知った。
それまでは「毛細管現象」とかなんとかでインクは吸い出されるように出てくるものだと思っていたがそうではないらしい。
ためしに上向になって、ペン先が天井の方向に向くようにして字を書いてみるとすぐにインクがかすれて書けなくなる事でもわかる。
この事はわれわれが日常レベルで体験する「かすれて書けないボールペン」と関係がありそうな気がする。
普段からボールペンを「鉛筆立て」のようなところにペン先を下にして立てておくようにすれば、ボールペンのインクはいつも最後まで使い切ることができるのではないだろうか。
しかし、それ以前に不思議に思うのがボールペンを買った本数(記憶)と、捨てた数(記憶)の整合性のなさである。
どう考えても「ボールペンを買った本数(記憶)>>捨てた数(記憶)」である。
ボールペンの5本セットくらいのやつはよく買うのだが、その割りにボールペンを捨てたという記憶がほとんどない。
大体、私の感覚でいうと、捨てた数の50倍くらいの本数は買っている。
これは多分、買ったボールペンが途中でどこかへ行ってしまうということだ。
考えてみるとボールペンのインクを使い切るよりも、途中で書けなくなって捨てるよりも、いつのまにかどこかに行ってしまうという「行方不明」というケースが一番多いのではないだろうか。
これはもしかしたら「ボールペンの墓場」というものがこの世界のどこかにあるのではないかと私は考える。
伝説の「象の墓場」のように、世間から忘れられたボールペンが時空を超えて、人知れずどこか一箇所に集まってその生涯を終える、というやつである。
その墓場に集まったボールペンのインクは使い切られてないものがほとんどだろうな、と私は想像するのである。
2006年07月18日
「オーシャンスプレー クランベリー 10000人モニターキャンペーン」ちうやつに当選しました。
戦利品は写真のとおり、このほかにグランベリーの「ほしぶどう」みたいになったやつが少々送られてきました。
味は缶入りのほうはすごい渋みがあるって感じで、それが果汁っぽいって気がしました。
ボトルのほうはそれと対照的に薄味であっさりしてました。
いつも懸賞に当たっているような気がしますが、応募するのは何かが当たった時に「それじゃまた応募しよう」という感じで何種類か応募している程度です。
一度応募すると大体何か当たるという感じ。
どんなふうにしてしてやっているかは、教えてやらない。そのうち書きます。